写真を撮り、コードを書き、その傍らでもう25年以上続けている仕事がある。校閲である。
とはいえ「校閲」と言っても、あまり一般には伝わりやすい仕事ではない。
ざっくり言えば、文字やデザインを見て、「ここ間違ってるよ」とか、「ここはこうしたほうがいいんじゃないかな?」とか、そういうことを考える仕事だ。乱暴に言えば、他人の文章の粗探しである。
ただ、もちろん、本当にケチをつけたいわけではない。
主役はあくまで書き手であって、こちらが出しゃばりすぎてはいけない。見落とさないことは大事だが、それと同じくらい、どこまで尊重するか、どこまで許容するかも難しい。
指摘も、やりすぎると野暮になる。
さらに一歩進んで「こうしたほうがいいのでは」と提案になると、なおさら加減が問われる。もっとも、そのあたりは雑誌なのか、専門書なのか、記事なのか、広告なのかで、かなり変わってくるのだが。
対象になるのは、実にいろいろだ。
雑誌、専門書、記事、カタログ。世の中には本当にいろんな文字がある。誤字脱字や表記ゆれを見るだけではなく、内容そのものについて妥当かどうかを確認したり、必要に応じて裏を取ったりもする。分野が何であれ、分からないことは普通にあるので、そのたびにあれこれ調べる。
この「調べる」作業が、けっこう面白い。
普段ならまず触れないような分野の話に出会えるし、知らなかったことが少しずつ増えていく。校閲というと地味な仕事に見えるかもしれないが、個人的にはこの部分がかなり好きだ。
そして、この仕事で身についた感覚は、写真やコーディングにも案外つながっている。
正確さをどう担保するかとか、見直しの工程をどう整えるかとか、表記ゆれと冗長さをどう見比べるかとか。やっていることは別でも、どこか根っこのほうで似ている気がする。
また、媒体によって見るべきところが変わる、という点も似ている。
同じ写真でも、建築撮影と物件撮影では求められるものが違うように、校閲でも雑誌、専門書、記事、広告では、指摘の仕方や踏み込む深さが変わってくる。
厳密であることが大事な場面もあれば、読みやすさや勢いを残したほうがよい場面もある。何を正解とするかは、文章そのものだけでなく、その文章がどこで、誰に向けて使われるのかによって変わる。
もっとも、ネットの文章はまた別世界である。
怪しさもあれば、誤字もあるし、なんとも言えない不思議な日本語も多い。一瞬「うっ」となるような気持ち悪さを覚えることもあるのだが、そのたびに「これは読み手に負担を与える新手のマーケティング手法かもしれない」と思えば、少しだけ気が楽になる。
実際、不完全なものに反応してしまう人間の心理を突いたマーケティング手法は存在するのだが、それを「技術」と呼ぶべきかどうかは、また別の話だ。
そんなこんなで、この重箱の隅を丁寧につつくような仕事を、長く続けている。
これだけ長くやっていても、別に極めた感じはしない。ただ、依頼がある以上、これからもたぶん続けていくのだろう。
Today’s Album
Artist: Robert Glasper Experiment
Album: Black Radio 2